混在する国の笑顔

2003年3月26日
ただいま〜〜〜
今、世界中でうわさになっている二つの国のうち
ひとつ、そう香港に行ってきました。

ウイルス?そんなにはかかりませんよ、という意気込みで望む。

旅行日記(要約)開始
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1日目(23日)

成田空港に朝早く着き、搭乗券をGET。
そこでもう一枚紙を渡される。
「香港ウイルスについて・・・」
まあまあとりあえずって感じで、スムーズに
飛行機に乗る。

テロ以来、自身初の飛行機だから離陸の時には
目をつぶって神様にお願いしてしまいました。

4時間50分で目的地香港に到着。
そこで待っていてJTBの人に連れられて
バスに。
香港島に向かうとのことだが
大型バスに乗っているのはうちらだけ、
JTBの現地の人が
「お客さんラッキーね〜、このバスお客さんだけよ」
って、どういうこと?
するとやはりキャンセルが多かったためらしい。
なんと1100人もの人がキャンセルした。

ちょっとびびりながらも、ホテルに自分でチェックイン。久しぶりの英会話に戸惑いながらもなんとかOK。
荷物を置いて、すぐに北京ダックを食べにいった。そこで同じテーブルに座った、親子とは旅行中偶然数回会うことになる。

肝心の北京ダックだが、はっきりいって
しょぼい。
焼きそばもまずくて、ただ鉄観音茶をひたすら飲んでいた。腹も一杯になったあとは夜景鑑賞。
世界三大夜景のひとつといわれる香港。
山をひたすらバスで登り、ついたところは
ビクトリアピーク。
残念ながら霧がかかってぼやけてはいたが
それでもかなりすごかった。

そしてホテルへ。
近くのコンビニでお菓子を買いに行ったら
英語がまったく通じず。
「Could you speak English?」
って言ったら
「はあ??」
って。
そりゃ、ないでしょう。
香港って5年前はイギリス領だったんだからと
思いつつボディランゲージで済ます。
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二日目(24日)
ガイドに聞いたら、
ホテルや空港以外は
普通の香港人はまったく英語がしゃべれないとの
こと。
誤算だった。広東語なんてまったく知らないよ。

とりあえず朝はホテルのバイキングを頼む。
ここでいろいろ手続きと割引についてあったが
二日目ともなると英語も慣れ
英語でいろいろやりとりできるようになった。
午前中は
黄大仙やらいろいろなところを回る。
三国志好きにはたまらないかもね。
ただし、黄大仙のところでは
ウイルス発症例がとても多いため
マスクをぴっちりとしていった。
そうそういい忘れていたが、
この日、一緒に回った人は
ジャマイカ人2人
日本人カップル2人
おじさん1人
ぼくら
の計7人である。

いつでも陽気なジャマイカ人。
そして日本人カップルの男のほうが
サングラスをかけ、半そでのムキムキ。
まるでシュワルツネッガーみたい。
絶対日本人にみえないので
最初に挨拶したとき
「グッドモーニング」
なんて言ってしまった。
いまおもえば恥ずかしすぎる。

そして一人のおじさん。この人がこの日の
キーパーソンである。

とりあえず、観光したあと昨日見た夜景の場所まで
ピークトラムという列車に乗ってまた同じ風景を鑑賞。昼はおいしい飲茶を食べ、午後はショッピング。

ここからおじさんが不審な行動にでる。
とても優しいおじさんだが、
日本人カップルを巧みに誘って
連れ去ってしまった。

結局ジャマイカ人とうちらだけに。
ガイドいわく、あのおじさんは有名な旅行プールで、信用を得て、自分の会社のものを買わせる人とのこと。
ちょっと怖くなってしまった・・・

気分を取りなおし、
夕方からは二階建てのオープンバスに乗り、
海まで。そこでまた一日目の親子に会う。
オープンバスはとても気持ちよく、
よくカンフー映画にあるように手を伸ばせば看板に触れてしまうほど、看板が横にはみ出ている。
日本では縦だけど。

そして海では船に乗り
夜景とディナーを楽しむ。
そこでは生のライブもあり、
夢の中にいるみたいで
思わず涙が零れ落ちそうになってしまった。

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三日目(25日)
テレビをみると
ウイルスへの懸念が強まっている。
確かにホテルの目の前の病院は
医療用マスクをした人がいっぱいで
不特定多数の人と接する仕事の人は
必ずマスクをしている。
ので、うちらも朝からマスク。

午前中は、下町の店で食事。
ご飯に鶏肉が乗っているやつでHK$18=288円
かなりボリュームがあっておいしかった。一日目の北京ダックより数倍いいね。
午後は香港を電車で抜け中国シンセンへ。
国境を越え、中国人の態度にむかつきながらも
ビザを取り、民族文化村へ。
とその前に、1時間半くらい時間あったので、
うちらと家族のおとうさんの三人でガイドに頼んでマッサージへ。
そこで出てきた女の子がかわいいのなんのって。
もうべたぼれ。
会話も北京語に対し、英語でなんとか意思疎通。
丁寧にマッサージしてくれて
足先からだんだん上のほうにきて
太ももの付け根で終了。馬乗りしてきたので
その次もあるのか〜と期待したけど
終わってしまった。

でも足がものすごく軽くなった。
あまりにもかわいかったので
一緒に写真をとってもらったのた。

夕飯は広東料理を食べ、民族文化村へ。
まずはお土産もの。あちこちから
「おにいさん、彼女にお土産どう?」
とか
「見るだけ」
とかイントネーションのおかしい日本語の嵐。
そんな中、ゴムにくっついたボールで遊んでいる現地の子と仲良くなり、一緒に遊んでしまった。

夜8時からは
ナイトショー。
中国の歴史をダイナミックに演出した舞台。
中国雑技団みたいのもあれば、宝塚っぽいのもあり
馬が30頭くらい駆け抜け、その上で曲芸をしたりと・・・さいごに銀色にめっきされた龍の口から火花が出て、一番前にいたものだからめちゃくちゃ熱く、やけどしそうになったのだ。
大満足。
そしてホテルについたのは夜の11時。
香港の夜は11時でも眠らない。というより道が渋滞。
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4日目(26日)
午前中はぶらぶらショッピングをして、
12時にチェックアウト。
チェックアウトでもいろいろ英語での質問の嵐だったが、慣れたせいか、聞き取りも返答もOKだった。
そしてバスで空港へ。
途中ガイドが山の奥を指差した。
「あそこは、2005年に何かができます。何でしょう?」
「答えはディズニーランドです。」
ほお〜こんな治安の悪いところにもテーマパークができるのかとびっくり。

空港でのチケットもスムーズに済む。
ただし、係員がかなり早口で英語をしゃべるものだから内容理解がぎりぎりできたくらいだった。
ガイドの人と肩を組み合って写真をとり
涙の帰国。

飛行機内ではウイルス発症した場合への
対処方法が流れ、気をつけるように指示された。
もしウイルスにかかったら
1週間後に発病するらしい。
だからいまは自分がかかっているのかどうか
わからない。多分大丈夫だとおもうが。
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香港
中国に返還されて5年が経つ。
経済は一気に下降し、
学生が卒業すると半分の人しか職につけない
香港人の90%は香港政府を嫌っている。
しかし彼らには選挙権がないので
自分の国を自分たちで変えることができない。
中国政府が任命した人が香港政府を司る。

今回のウイルスも中国・広東省が発症の地である。
中国ではものすごい数のひとが感染しているが
中国政府はずっと隠し続けている。

社会主義と資本主義を両立させようと
建前だけはかっこいいことを言っているが
結局は、社会主義を押し付け
成長を止まらせている。

肌で感じた。
国単位での動きを。
中国、香港、日本。
この三つがどのように絡み合い
これからどのようにもつれていくのか。

そして政府とは縁のない、
下層市民のほんとうに貧しい生活。
でもそんな中で笑顔をみせながら
一生懸命働いてる人たちがいっぱいいる。

僕というたった一人の人間が
多くの人の笑顔をもたらせたらと
深く思った。

もっともっと自分を磨いて
マッサージをしてくれた女の子や
市場で遊んでいる子供たち
太極拳や踊って陽気なお母さんたちの
ために
何かできることがしたい。

それは分野にとられわれず。

近くて遠い香港。

アジアの中でも特殊国であることは間違いない。

香港人・中国人の笑顔の旅、そんな3泊4日でした。

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